2022年6月2日木曜日

ヨガおじさんが昔京都のお寺で座禅体験したときの話

ナマステ!

ヨガおじさんです。

最近、瞑想を深めたいと考えていると記憶がよみがえってきたのですが、昔、京都のお寺で座禅体験をしたことがあります。今回はそれについて綴ってみます。


ちょうど良い座禅体験できるお寺が京都にあった

マインドフルネスという言葉はまだ世間に知られていないような頃、ヨガおじさん(まだヨガを始める前なのでただの「おじさん」です)は、なんとなく瞑想に興味があって「瞑想」や「座禅」を習えるところを探していました。でも、スピリチュアル色が強すぎたり、〇〇座禅会という名の厳しそうなころなど、初心者の(ヨガ)おじさんに向いてそうなところが見当たらなかったので、熱心に探すこともなく、しばらくほったらかしにしていました。

ちなみに、その時の(ヨガ)おじさんは『ヨガ』=『エクササイズの一種』という認識をしていて、『ヨガ(のポーズ)』=『瞑想』のためであるという認識をしていませんでした。ヨガを始めてしばらくしてから、『ヨガ(のポーズ)』=『瞑想』であることを本やネットから知識として得ることになるのですが、それはまた後の話。

瞑想や座禅をやってみたいなぁと思いながら、うだうだしているうちに、京都のお寺でカジュアルに座禅体験できるらしい、という情報をキャッチしました。ネットで調べてみると、確かにカジュアルに座禅できるところがありました。観光客向けに90分でお安く座禅体験できるお寺が京都の祇園にあったのです。京都に住んでいたことのある(ヨガ)おじさん、不覚にも全く知りませんでした。

ネットで詳細を確認してみると、本当に堅苦しくなくて、座禅体験できるとのことなので、早速オンラインで申し込んで当日を楽しみに待ちました。

人生初座禅に期待

座禅体験当日は、時間前に手ぶらでお寺に向かいました。日本有数の観光スポットである祇園から徒歩ですぐのところにそのお寺はあります。

歴史に疎い(ヨガ)おじさんにもひしひしと伝わってくる荘厳さに圧倒されながら門をくぐりました。受付を済ませると庭の見えるお堂に通され、その凛とした佇まいにまた圧倒されました。そして、そこにずらりと並んでいる座禅用の丸座布団を見て、いよいよ人生初座禅かぁと期待に胸が高鳴ります。庭を眺めたり、お堂をキョロキョロしていて待っている時間になり、体験座禅を案内してくれるお坊さんの登場です。



禅寺だから当然なのかもしれませんが、自らを厳しく律しているのだろうなという印象とその反面、親しみやすい印象も持ち合わせているお坊さんでした。座禅とは何か?、この寺院で座禅体験を行っている目的とは何か?、今日の体験の流れは?、その他注意事項について分かりやすく説明してくれました。

ずいぶん前のことなので、細かい内容は思い出せないのですが、「このお坊さんとにかくしゃべりが上手い!!」とことが強く記憶に残っています。座禅は12分を3セットでセットの合間に休憩を挟むという、初心者にやりやすい設計になっており、座禅を組んでいる間、自分から合図をした場合だけ、警策で喝を入れてもらえるとのことでこちらも優しい設計でありがたい。子供のころに見ていたコントの影響で、座禅に集中していないと一方的にジャッジされて罰ゲームのように警策で叩かれるものだと思っていたので、ほっと胸をなでおろしました。

座禅が始まったが「無」になれず

そんなこんなで、座禅1セット目の始まりです。座り方は、「あぐら」でも「正座」でも「座禅(の座り方)」でも何でも良いし、脚がしびれるようなら途中で座り方を変えても、脚を入れけても良いとのことでした。ほか10名程度の参加者の様子を見ていると、やはりほとんどが座禅をするのは初めてという感じの方ばかりで座り方も「あぐら」の方ばかりでした。用意されていた丸座布団はちょうど良い硬さで背筋を伸ばして座りやすかったので、ちょっと欲しいと思ったものです。(ヨガ)おじさんは小学生くらいのころは座禅の座り方で脚を組めていたのですが、大人になってからは股関節が硬くなっていてまったく座禅の座り方はできなくなっていました。ヨガを始めてからは、子供のころのように座禅の座り方ができるようになったのですが、それも1年くらいはかかってようやくできるようになったことを覚えています。

座禅の座り方(ヨガでは蓮華座と呼びます)


さて、1セット目の座禅。できるだけ「無」になろうとしたのですが、そんなこと全くできるはずもなく、雑念だらけになってしまいました。そして、12分がとてもとても長く、「あぐら」を組んで床と接地している下の方の脚がすぐに痛みとしびれで悲鳴をあげはじめました。後半は早く終わることに集中していたので前半よりも少し「無」に近づいたかもしれませんが、瞑想とはほど遠いものでした。

警策で喝

なんとか1セット目を終え休憩です。ストレッチしたり、脚をマッサージしていると無慈悲にも2セット目の準備を促す声がかかります。1セット目のダメージを背負ってのスタートですから、「無」になって座るとかではなく、いかにストレスを少なくして12分をやり過ごすか、ということに意識が向いてしまっています。

そして、2セット目が始まり、案の定、少しも経たないうちに脚の痛みとしびれが襲ってきます。このままではこのセットを乗り切れないとの思いから、警策で喝を入れてもらうしかない!と喝の志願を合図しました。そうするとお坊さんはすっと(ヨガ)おじさんの背後に寄ってきて、警策を(ヨガ)おじさんの右肩にそっと乗せます。これがお坊さん側の合図です。警策を感じた(ヨガ)おじさんは喝を入れてもらいやすいように、首を左に傾け、右肩を開けます。

そして一閃、警策が右肩に振り下ろされます。喝は、痛すぎないと痛くなさすぎないのちょうど良い合間の痛みと気の引き締めをもたらしてくれました。喝でなんとか残りの時間をやり過ごし2セット目を終了。そして、休憩を挟んで最後のセット12分が始まります。

何も覚えていない最後のセット

最後のセットは、脚の痛み、しびれと戦いすぎたためほとんど何も覚えていません。他の方がどうだったのかも。実際の座禅が始まるまでは12分×3セットを座るだけなんて楽勝と思っていました。むしろ、どれだけ「無」になれるかということに関心ばかり持っていたのですが、まず安定して座るということがいかに難しいかということを痛感できた貴重な経験でした。この経験はヨガを続けるようになってからより深く強く理解できるようになりました。だから(ヨガ)おじさんは今日もヨガをするのだなぁと考えます。

座禅が終わって、最後にお坊さんの法話がありました。やはりしゃべりが上手く、聞きやすかったことは覚えていますが、脚のダメージのため法話の内容は全く思い出せません。きっとためになるありがたいお話であったはずなのですが・・・。

念のため申し添えておくと、座禅体験は総合的には大変楽しく面白い経験でしたので、座禅や瞑想にご興味をお持ちの方にはぜひおススメしたいです。座禅や瞑想に興味がなくても、警策で喝を入れられるだけでも人生の経験としては面白いかも。

ヨガおじさんもヨガの練習を通じて、以前よりはきちんとある程度の時間座れるようになったので、ぜひもう一度行ってみたいなと思っています。


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